昭和五十一年十二月十一日 朝のご理解
                            松永享四郎

ご理解第十八節
「此方のことを、神、神と云うが、此方ばかりではない。ここに参っておる人々がみな、神の氏子じゃ。生神とは、ここに神が生まれるということで、此方がおかげの受けはじめである。みんなもそのとおりにおかげが受けられるぞ。」


 その通りにおかげが受けられる、それは、大と小と云う風に違いはあっても、やはり、内容はその通りのおかげが受けれられる、例えば、その日その日の生活でも、神様のおかげを頂いて、まあ細々ながら、毎日が云うならば、その日暮らしではあるけれども、結構なお繰り合わせを頂いて、有難い千円のその日暮らしもあれば、1万円のその日暮らしもある訳です。
 もっと、10万円ものその日暮らしと云うのもございましょう、だから、その働きを受ける、その神様の働きそのものは、同じであります、で、愈々、大きなその日暮らしのおかげが頂きたいと思うならば、愈々、大きくならなければならないと云う事です。
 愈々、寛大にならなければならないと云う事です、愈々、豊かな心にならなければ、豊かな、云わばその日暮らしは出来ません、その日暮らしと云うものは、素晴らしいものです、然も安心しきっての生活、明日は食べられるかどうじゃろうかと云う様に、不安のないだけの一つの自信と云うか、確信を持ったその日暮らしでなからなければいけない。
 もう今晩ご飯食べる米を炊いてしもうたら、明日の朝のお米が無いですよと、もうそう云う事は、私共修行中はいつもでした、けども、今日頂けたと云う事が有難いじゃないか、もうしっかりお神様にお願いをして、明日の事は明日、神様にお縋がりしてと、云うて寝ませて貰うて、もう明日はとうとう腹をすかしたと云う事は一遍もございませんでした。
 ですから、そう云う様な事がず-っと続いておると、云うのではなくて、私の場合は、それが段々おけげを頂いて参りまして、なら、お米なら、お米でも、何十俵の米がいつも倉庫に積み上げてある程しの、その日暮らしであると云う事ですよね、その日その日が有難い、もっともっと大きなおかげになって行く為には、私はよりもっともっと、大きくならなければならないと云う事です。
 私は思うに今日の例えば、頂き物が、なら今晩炊きましたから、明日のお米はありませんよと、云われておっても、今日例えば頂けたと云う事が有難い、お礼をしっかり申し上げて、明日は明日の事、私はそう云う心が生神だと思うですね。
 不安がない、そして、神様がお生かしの様々な働きと云うものは、充分にしておって下さってある、私共は欲を出し過ぎるから、本当にいつまでこう云う事が続くじゃろうかと云う事になって、その不平不足が、折角の神乍らのおかげを壊してしまうのです。
 本当にいつまでこう云う事が続くだろうと云う事が、いけんなら、愈々信心をもっと密なものにしてです、信心を愈々有難いものにして行く手立て工夫がいるのです。
 そして、より大きなおかげを頂きたいと思うなら、我情を出さず、我欲を出さず、お縋がりし、お任せしきった、生き方の中に、愈々寛大なおかげにならせて頂く為に、豊かな心、所謂、寛の字です、ウ冠に、くさ冠に見ると書いて寛と読む、働きのすべてが、神様の御働きの中にあっておる事であると判らせて頂いたら、自然のその働きを、そのものを、神の働きと見る様になったら、そこには、有難いしかない、合掌しかないのです。
 そういう心の状態を、私は、生神と云うのだと思うです、それまで、もっと豊かに大きくなって行くと云う事の精進が、云うならば、より豊かな大きな心と云う事でございます、もう不平不足の出るところには、生神のかげりも無い事になります。
 昨日、ご本部で、豊美の所で、2時間余りありましたから、暫く隣の部屋で繁雄さんから、足を揉んで貰いよりました、そしたら、こっちの部屋で豊美達が夫婦で色々話しとりました、そして、私は寝ながら、足揉んで貰いながら可笑しいと思うた事は、豊美が何か私はあの時ピ-ンと来たんですよと云いよりましたら、威智雄さんが云う事は、お前はちっとピ-ンと来過ぎるよと、私はその事を(笑い)本当にあの人はピ-ンと来過ぎるです。
 もうピンピンもう人のもの云いよんなさる、もうあの人は私に対してこげん云いよんなさる、私に皮肉を云うてから、私に、と云うて腹の立ったり、もやもやする方にピンとするとば考えよる訳です、それで、威智雄がむごう云いよりました、私は、こっちの方でむごう云うたのと、云おうごとあったばってんが、まあ二人の話しを黙って聞きよりましたがね、お前はちっとピンと来過ぎるよと、お互いどうでしょうか。
 私は、この頃、親教会の記念祭を仕えさして頂いて、私がおかげを頂くのはここだなといつも思うんですよね、記念祭がもう話しがあってよかりそうなもん、もう会議があってよかりそうなもん、もうあと何ケ月そうですね、もう2.3ケ月前に、私共のところに、こうして会合がありますと云うて話しがありました。
 そして、記念祭に幾ら幾らお金がかかってと云うて、明細な計画表が出されました、そして、色々と私が副委員長にならせて頂く事も、その日のうちに決まりましたが、何と云うても先立つものは、金だと云う話しが出ましてね、ああこん時ばかり、私を呼ばっしゃるとばいなと、もうその時は向こうから、自動車をもって迎えに来ますからと云う電話でした。
 だから、そんな事じゃ勿体無いから、丁度月次祭の日でしたから、お前が一遍月次祭が終わったら、幹三郎に、帰って来てから連れて行って呉れと、私も、一寸用件がありましたから、時間が一寸ズレました、なら、合楽の先生が見えてから、話しは進めますと云う事でございました。
 それで、時間を一寸待って貰うて、信者、出社の先生方、皆集まっとりました、もう私はピ-ンと来ましたから、もう、翌る日早速銀行から金をおろしてから、若先生にお供えを持って行って貰いました、もうその後何とも話しがありませんでした。
 私も、例えば八足とか、何とか生いとでは、反ったり致しますからね、あれは、……どげんなっとるじゃろうかと思うて、幹三郎に聞きにやりましたら、ご本部の方に注文しとる、なら、絶対間違いはない、もうこの辺でご本部にあんなの頼むなら、もう、最高のもんです、そりゃ、もうこんな田舎でも、こちらで作る様なもんですからね、けれども、この頃からこの前のご本部参拝の時にね、今度あちらで作ろうとというので、岡本に見積りさせましたらね、もうとても目の飛び出るごと高いです。
 それでまあ、いろいろしとるところに、丁度、古賀さんの斡旋で、大きな桧の原木で安い、安いと云うても、35万位かかります、1本がね、それを買わせて頂いて、それを重松にわかせて頂いて、それで作ろうと云うのですが、と云うて云う程に高いです。
 最高の材料と、最高の技術を以ってしますからね、そりゃ見事でしたでしょうが、八足でも、三宝でもね、こっちはご本部に頼んどるから、ご大祭までには間に合うだろうと云う事で、安心しましたが、それから、まだ一月、記念祭を迎える20日位前に寄って呉れと云う事で寄りました。
 私は、驚きました事は、記念品から何から全部出来とった事でした、やっぱり先立つものは金だと思いましたよ、けれども、これがいつもの事なら、もう、記念品は何がよかろうか、なら、見に行って呉れ、そして、買って来て呉れです、いつもいつでも、けど、今度は何も、私には相談がなかったです、そして、私はその時思うたのは、ははあ、こんな得手勝手な事を、あなたに相談なしにしとりますから、その前に、暗に云うて下さる事だなと、思うたです、その時それこそピンと来ました。
 けれども、本当に私が、例えば、さあ窯元に行ったり、いろんなああ云う今度、一ノ瀬で花瓶とかああ云うもの焼かせとりましたから、先生方のあれが、けれども本当に、私は、おかげを頂いてから、もう皆さんがやってしまってあるから、こちらが出らんでよかった、もうそれでのうてからでも、体が足りんのですから、私はおかげ頂いてよかったと云う風に思うのです。
 もう実感です、ですから、どんな場合であっても、ピンと来る事がね、有難い方へとか、ああ良かったと云う方にしかピンと来んです、私は、そこにね、私がおかげ頂く訳が、ここにあるな、もうピンと来た、だからと云うて私は腹を立てる方やらね、云うならおかげ頂き損なう様な事のない心を、使わせて頂けると云う事は、本当に有り難い事だと思います。
 生神とは、心に不平不足のない、むしろそれが有り難い有り難いと云う頂き方、そう云う頂き方を皆さんには、寛の字をもって、または、合楽理念に立脚しての、行き方と云うのは、そう云う事になるのです。
 そう云う成り行きをです、有り難く頂くだけでない、ピンと来る、ピンと来るなら、おかげを頂く事なら、もう早速明日とは云わん、と云う様な行き方をです、私は身につけて行く事、自分をないがしろにしていると云う行き方をされたなら、ピンと来てかえって有り難い方へ頂かせて頂くと云う、人間の行き方の意地と云うか、感情と云うか、そう云うものが皆、有難いに塗りつぶされてしまう、おかげを頂く事がです、私共の在り方を、有り難い有り難いで塗りつぶしてしまう、どちらへ転んでも、出て来る事は、有難いと云うのである。
 そう云う信心を、私は十八節には教えておられると思うです、合楽理念に基づいて、それこそ、為そうと思えば子供にも成せる様な事を、疎かにする様な事であっては、もうそこからおかげが洩る、そこんところを厳密に、信心生活の上に頂き表しておる事である、そう云う行き方が身についた時に、心は愈々、生神に向かって進むでしょう。
 その喜びが、おかげを愈々喜びに変える事でしょう、そして、その心が愈々、寛大に豊かな事であるから、豊かな生活もまた、そこに許されるのであって、そう云う有り難い勿体無いの心の世界が、御霊の世界に行きましても、入りましても、やはり有り難い勿体無い、云うならば、極楽の真中に座ると云う確信が出来て参りました。 人間のギリギリの云うなら問題、死生感もそう云う安らいだ心で受ける事が出来る、あの世、この世を通してのおかげを頂くと云う事は、私共が何と云うても、やはり目指すところは、生神へと云う事でなからなければ、と云う事であります。
 あのおかげば頂けばそれでよい、これがいっちょ成就すればそれでよかと、云った様な信心なら、必ずしも金光様でなくても、頂けるかも知れません。
 昨日、月次祭を終わらせて頂いて、退がらせて頂いておりましたら、矢部の方達が、5.6人でやってまいり、新しい人を2人導いて来とります。
 自動車でお参りして来よりましたら、運転免許を忘れて来とりました、ところが、昨日は、取り締りがあっとったそうですね、丁度、5.6人出とられたそうですから、もうこっちの方から、手前の方から、実は、免許証を忘れとりますが、取りに帰らにゃいかんでしょうか、そしたら、取りに帰れとも云われん、行けとも云われんと、云わっしゃったそうです、それで、山の中の巡査さんは、えらい寛大じゃねと、私は云った事です。
 だから、あんたがそのまま行くと云うたっちゃ、まあ私だん、大目に見とると云わっしゃった、けど向こうで捕まったら知らんばいの、と云わっしゃったそうです、やっぱり村内の知った巡査さんか何かじゃったのでしょうね、そりゃ、取りに帰れとも云われん、どけ行くとのと、合楽の金光様に参りよる、もう時間で行きよるけんでと、なら、行くなら行かんの、取りに帰るなら、取りに帰らんのと云わっしゃった。
 そんなら済ませんばって此処を通して下さい、黒木の町まで行くと弟が運転免許ば持っとりますから、あれば、いっちょ乗せて行きますから、ならそうしなさいと云うて、黒木までは、無免許で、それから弟に来て貰うて、それからこちらへ参って来た、それで、昨日、黒木までは、弟が運転して呉れるから、それから、山の中まで、無免許で行かんならんけん、宜敷くお願いしますと云うてから、と云う事でした。
 そして、昨日は心筋梗塞と云う何か病気で、医者が難しいと云う程の人を、連れて参っとりました、ね、それから、嫁さんの、弟さんの黒木町に居ると云う、その人も本当に牛に引かれて善光寺参りとはこの事でしょうか、もう私までおかげ頂いてと云うて、大変喜んどりました。
 まあ、そう云う話しを聞き乍らね、生神の精進と云う事が、そう云う何とはなしに、普通では考えられない様な有り難い事になって、その雰囲気になります事がね、運転免許もさる事ながら、弟さんが、その事で、おかげを頂いた事もさる事ながら、その警察官の事もさる事ながら、そこに、神様が一枚加わってござる。
 合楽にお参りしよる事がです、神様参りは、もう参りんなさんなとも云われんし、まあ、それと云うてなら、家まで帰りよりゃ、遅うなるけん、どうとも云えないと云う様なね、雰囲気と云う様なそう云うものがね、私共の生活の中に、そう云う雰囲気が漂うて来る訳です。
 そして、思いもかけない、弟さんのお導きも出来る、そう云う重体の病人の、おかげもその有様を見てから、信心ちゃ有り難いものだなあと云うものが、感じられておると云う事です。
 まあ、素朴なそれこそ、生神への精進ですけれども、そうそうご都合の中に、万事万端のご都合お繰り合わせ頂いて、そこにも、示現活動の出来る人があると云った様な働きが、私共の周辺に起こって来る様なおかげ頂きたいですね。
 それがです、チンと云えばカンと云う様な、ピンと来る、それを反対の方へ反対の方へと、とる様な行き方は、生神への道とは云えません、例えば、時に鈍感な人があるかと思や、敏感な方もありますから、ピンと来るけど、そのピンと来る事を、有り難い方へ有り難い方へと、こちらがして行くね、それを有り難い方へと頂いたら、明日と云わず、早速と云う様な積極性がなからなければ、信心は進.みません。
 愈々、寛大なおかげを頂く事の為には、愈々、寛大なおかげ、神の一切を働きと見ると云うところにです、成る程、運転免許を忘れとった事も、神様の働きと判るでしょう、お話を聞いておってね、ですから、責める事もなからなければ、自分で愚痴る事も必要でない。
 昨日、私と繁雄さん、皆からとり残されてしもうちから、汽車が一汽車遅れたんです、あんたどんばっかりは、了見に及ばんと云う事も何もいらん、これは、神様のご都合かと、かえって早う着いて、お祭りも仕えられん筈で、只、挨拶だけでも出来ん、あちらで、55分間遅れとりましたから、だから、すぐ豊美が電話をかけよりましたが、そんならお祭りがしまえて挨拶する時間もないなと思うとりましたけど、実際は、大変時間が、何十分間か、時間が早くまあ、走った訳でしょうかね、汽車は。
 そして、おかげでここへ到着するのは一緒になって、しかも、お風呂に入って教衣を着けた時が丁度、八時半でした、そうなに間違いのない事ですから、あんたどんばっかりは了見に及ばんと云う事も、何にもいらんと云う事です、そう云う頂き方が、私は、生神への精進だと云う事に、聞いて頂きましたね。   どうぞ。